症状をあるがままに受け入れる

多くの精神科の外来で、助言を中心としたカウンセリングが行なわれているのに反し、患者さんのほうから充分に時間をかけた心理療法を要求する傾向がだんだん強まっています。実際、心理療法は近年ますます盛んになっていると同時に、アメリカの心理療法が洪水のように紹介されています。心理療法では、日本は大変な輸入大国です。日本独特の心理療法として療法があります。この療法が創始したもので、その治療法の根幹は症状をあるがままに受け入れ、症状と闘うことを避けることで、逆に自然治癒的に病気の改善を目指すものです。そして神経症の根源は、あまりに強い生の欲望と、それと相関る死の恐怖からなると考えています。しかし、療法に見られる仏教的(禅的)雰囲気は、いささか現代っ子にはなじみにくいものです。さらに療法が下火になりつつある根本原因は、日本人の性格傾向が大きく変わりつつあることと関係があるでしょう。対人恐怖症や神経質になりやすい人というのは、内向的で「自己内省」が強く、こだわりが強いといった真面目で責任感の強い伝統的な人格類型に属する人たちです。臨床の現場から見て、昨今の日本にはこのような人格類型は明らかに減少しています。対人恐怖も当然減少しています。今の日本の若者の生き方は、軽やかで抜け目がありません。禁欲倫理より欲望発散のほうが先行するようになるのです。

 

他方、アメリカから入ってくる心理療法がはたして日本に妥当するのでしょうか。むずかしい精神分析理論、対象関係理論が多く紹介されています。しかし、精神分析の理論は、日本の臨床に本当に根づいているのでしょうか。たとえば精神分析の重要な概念である転移(治療者に幼児期の親子関係を無意識のうちに再現すること)の解釈を、日本の精神分析家は本当に実践しているのでしようか。さらに根本的なことですが、日本の患者は言葉や論理的分析や解釈になじんでいるのでしょヽつか。実際は、厳密に分析されると、治療者を冷たい人とらえ、それに耐えられなくなる日本人が多いように思われます。最近、アメリカに在住する日本人が多いのですが、彼らのうち精神分析療法を受ける人は当然見られます。しかし、そのあまりに直接的分析(露骨と彼らは受け取る)に文化的ショックを受けた人は多いようです。そのため帰国し、私たち精神科医のところに治療を受けに来る人は少なからず見られます。

 

日本人にとって言葉は通常、感情的潤滑油として機能することの役割が強い。しかし、それを道具的、かつ論理的な表現として使うと、それは人と人の関係を冷たく断ち切ることになりかねません。日本の患者は、治療者との家族的な親しみを求めているようです。もっと具体的にいうならば、治療者は父親、あるいは母親として機能し、患者はその子供であるという構図ができて、はじめて安心するように思われます。